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 岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。


 離婚どころか、結婚したことも、結婚する予定もまったくない私の検討では役者不足な気もしますが、今回は結婚と離婚について検討します。

離婚について相談を受けることがよくありますが、離婚も結婚と同様、『離婚したい!』⇒『離婚する!』というように簡単なものでないことにご注意ください。

結婚の場合は、皆さんも、『結婚したい!』⇒『結婚する!』と簡単なものではないことご存じのようです。婚姻は、「届け出ることによって・・・効力を生ずる」とされますが、「当事者間に婚姻をする意思がないとき」は無効とされています。すなわち、2人が『結婚したい!』⇒『結婚する!』という意思を持っていなければ結婚できません。

離婚の場合も、2人が『離婚したい!』⇒『離婚する!』という意思を持っていれば離婚できます。結婚と同じように、2人で届出をすれば原則として離婚が成立します。

ただ、夫婦の一方だけが『離婚したい!』というときは、ハードルがとても高くなります。ただ、結婚のときと異なり『2人でなければ絶対にできない!』わけではありません。『もう夫婦としての実態がない』と言えれば離婚できます。

では、どのようなときに、『夫婦としての実態がない』と言えるのでしょうか?裁判所は「夫婦としての実態がない(婚姻関係の破綻)」となかなか認めません。例えば、夫が「口論した挙句、殴打し足蹴にするなどの暴行を加え、加療約10日見込みの傷害を負わせた」という事案でも、「同情の余地がないとはいえない」「別居後3年に満たない」「夫は婚姻の継続を強く希望している」として破綻を認めません(千葉地裁)。「怒鳴りながら手元の物を叩くなどの暴言暴力やモラルハラスメントにより妻がめまいで緊急搬送された」「全般性不安障害と診断を受けた」という事案でも、「いずれも、生活・考え方の違いや感情・言葉の行き違いに端を発するもの」なので「夫だけが責任を負うものではない」「夫は妻との関係修復を強く望んでいる」「別居期間が約3年5か月と短い」として破綻を認めません(東京家裁)。どちらも控訴審(東京高裁)では、長く裁判したので別居期間も長くなり破綻が認められましたが、DVがある事案でもここまで争わなければいけないのですから大変です。モラルハラスメントだけでは、もっと大変です。

 「結婚」や「離婚」だけが人生ではないので、あまり難しく考えることもどうかと思いますが、どちらもあなたの人生にとって重要なイベントです。慎重に対応することが肝心です。


 岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。


 新型コロナウイルスの感染拡大により、日常的に人々の権利が制限される場面が増え、その中で“憲法”の話が出てくることも増えてきたように感じます。AIRDOの飛行機に搭乗した人が、マスクの着用を拒否して飛行機を降ろされ、「憲法違反だ!」と主張したりしていました。憲法は、六法全書でも一番初めに載っている一番重要な法律です。ただ、とても重要なのに「憲法って何か、あまりわかってもらえていないな」と思ったので、今回は憲法について書きます。

 一番重要な法律と書きましたが、そもそも憲法は法律ではありません。法律とは逆のものです。国(国民の代表、立法府)が、国民が生きやすくなるように定めるルールが法律です。国民には、この自分たちの選んだ代表が定めたルールを守って生活することが望まれます。これに対して、憲法は、国(立法府、行政府、司法府)を縛るものです。国の国民に対する約束といってよいでしょうか?そのため、法律とは違って、国民の代表でも簡単には変えられません(国民に対する約束を自分で変えられることにしたら意味がないので。)。

憲法には、いろいろな権利が定められています。表現の自由とか、職業選択の自由とか、居住・移転の自由とかそういったものです。これは、国によっていろいろな権利・自由が制限されてきた歴史があるため、そのような歴史を繰り返さないように憲法で約束しているものです。憲法の約束がある限り、国は、表現の自由とか職業選択の自由とかに反する法律を定めることはできませんし、反する行為をすることもできません。

 ただ、何度もいいますが、憲法は国を縛るものです。国が、警察をして、総理大臣を批判している人を逮捕すれば憲法違反ですが、お母さんが、友達の悪口を言う子に「そんなこと言うんじゃない!」と怒っても憲法違反にはなりません。国が、「北海道の人は国会議員になれない」という法律を作ったら憲法違反ですが、お父さんが子に「国会議員になんてなるんじゃない!」と言っても憲法違反にはなりません。

 以上のとおり、憲法は、法律とは逆のものです。法律の根拠になるものです。おかしな法律が作られないように定めているものです。とても重要な決まりなので、よく読んでみてください。“国が”その決まりに反しているときは「憲法違反だ!」と言ってやってください。憲法が変えられない限り、その主張は表現の自由として保障されます(お母さんは「やめなさい!」と言うかもしれませんが。)。


 岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。


 弁護士という仕事をしておりますが、「裁判しましょう!」という結論になることは、そう多くありません。

 法律には、この社会に生きる皆さんの権利が多く定められています。ただ、「あなたの権利はこれです!」とはっきりは書かれていません。具体的には、裁判所で確認してもらわなければなりません。法律に定められた権利を、あなたが行使できるかどうか、裁判所で判断してもらわなければなりません。

 裁判所での裁判官による判断は、様々な事情を比較検討してされるものです。日本の裁判が、地裁⇒高裁⇒最高裁と、3回判断される可能性を認めているとおり、判断する裁判官や、判断される時機によって違う結論がでることもあります。そのため、私は、悩んでいる人の話を聞いて、「これは、行けそうだな!」と思っても、「絶対大丈夫です!!」とは、絶対言えません。

 人は、利益よりも損失に大きく反応するそうです。「コインを投げて、表が出たら110万円もらえますが、裏が出たら100万円とられます。」という賭け事に応じる人は、あまりいないそうです(表が出たらもらえる金額が150万円でも、100万円失うリスクに尻込みして、あまりいないそうです。)。そうすると裁判も、上手くいけば裁判に勝って希望したとおりの利益を得ることができますが、場合によっては裁判の費用や時間だけがかかってしまうという面があり、なかなか裁判をしようという気持ちにまではなれないということも理解できます。また、裁判の場合、費用や時間だけではなく、裁判所に行くことはまだ日常的なことではないので、自分の生活が裁判を始めることで変わってしまうのでは?という不安もあるでしょう。

 非日常的なリスクに対しては、保険があります。そして、自動車保険の弁護士特約のように、何かあったときに弁護士への相談や裁判等の費用を肩代わりしてくれる保険もあります。保険の制度などによって、もっと裁判所が日常的なものとなり、気軽に、弁護士や裁判所を利用できる社会になればいいですね。


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