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 岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。


 法律も、みなさんが使っている日本語で書かれています。普通に使う言葉で、法律の言葉も書かれています。ただ、法律は、誰が読んでも、どんなことを書いているか、同じように伝わらなければなりません。そのため、とても気を付けて、日本語を使っています。今回は、そんな法律の中で使われている言葉についてお話しします。

 「故意又は過失」という言葉があります。「故意」も「過失」も、日常会話ではあまり使いませんが、法律の中ではよく使われます。特に「故意又は過失」というようにセットで用いられます。日常会話での「故意」は“わざと”というような意味です。法律用語では、結果の発生を認容する心理状態を「故意」と言います。「過失」は、日常会話では“しくじり”や“過ち”などを意味します。法律用語では、損害の発生が予見可能であり、それを回避すべき義務があったにもかかわらず、それを怠ったことを言います。「過失」自体は事実ではなく、その人に損害回避の義務があったかや、損害の予見が可能だったのかといった評価を根拠付ける事実が問題となります。

 法律も日常会話の言葉の理解でも何となくはわかります。「故意又は過失だったら責任を負う」とされていたら、「“わざと”か“過ち”があったら責任をとる」と考えてもなんとなく意味はあっています。ただ、この前、「私は知らなかったので、過失はありません!」とご相談を受けました。日常会話では「知らなかったので、“過ち”がない」「知らなかったので“悪く”ない」でおかしくありません。ただ、法律では、“知っていたのか知らなかったのか”は、“わざとかどうか”の「故意」の問題です。「過失」は“回避すべき義務があったか”、“予見することができたか”という“知っていたのか知らなかったのか”の前の問題です

法律の中で使われる言葉は、日常会話での意味より少しややこしいです。ただ、意味がわかってくると法律がきれいに整頓された言葉で書かれていることがわかり、とても楽しいです。弁護士は、この法律の言葉を解説することが好きなので、自分で「故意かな?」「過失かな?」と判断する前に、弁護士に相談してみてください。


 岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。


 登記とか登録とか面倒ですね。ちょっとした買い物でも所有権は移転します。スーパーでおにぎり1個購入しても、おにぎりの所有権がスーパーから私に移転します。ただ、おにぎりが誰のものかは、重要ではありません。周りの人からしてもどうでもいいです。そのため、おにぎりの所有権の登記や登録は、必要ありません。ただ、土地や家は、その家から雪が落ちてきたら、近所の人はその家の持ち主に文句を言いたくなります。誰が、その家の所有者か知ることが必要になります。登記や登録をしておいてもわらないと困ります。

まだ、そこに人が住んでいれば住んでいる人に文句を言ったり、誰の家か聞けたりするのでまだいいです。この頃は、高齢化社会で、持ち主が亡くなった後、ちゃんと登記がされていなくて、誰に請求したらいいかわからなくて困るということが多くなってきました(空き家問題)。

 それで、令和6年4月1日から、相続で不動産を取得したとき、登記することが義務化されます。私は、登記は専門ではありませんが、備忘の意味もあり報告させていただきます。詳しくは司法書士さんにお尋ねください。

 義務化とはいえ、必ずしもしっかりした登記手続をしなければいけないということではありません(できるならした方がいいとは思いますが。)。相続しただけで、まだ自分の物になるかもわからないのに、登記の義務を課せられるとしたら重すぎます。そのため、「相続人申告登記」として、登記官に対し、「相続が開始したこと」又は「自分が相続人であること」を申告すればいいとされました。そうすると、その人について「相続人申告」がされたことが記載されるので、亡くなった人の不動産で困った人は、とりあえずその「相続人申告」をした人に連絡できるようになります。

 まだ始まったばかりの制度であり、「ちゃんと所有権移転の登記までさせなければならないのではないか」という意見もあるようなので、今後どうなるかはわかりません。ただ、これまで仕事をしていて「登記が古くて誰に連絡したらいいかわからない」と困ることがあった私といたしましては、相続人の連絡先が示されるようになるだけでもとても嬉しいです。


 岩内ひまわり基金法律事務所の齋藤です。


 「父が不動産を持っているのですが、認知症のため自分で管理することができません。どうしたらいいでしょう?」というような質問が、「父」のところが「母」だったり「叔父」だったり「叔母」だったり、「不動産」のところが「預金」だったり「会社(株式)」だったり、「認知症」がその他の病気だったり、バリエーションはありますが多く寄せられます。このとき、信託契約であったり、任意後見契約であったり、法定後見制度を提案するのですが、特に「後見」についてよく理解されていないようなので、今回は、「後見」についてお話します。

 民法では、「私権の享有は、出生に始まる」とされ、赤ちゃんでもおばあさんでも、すべての人が平等に権利の主体になるとされています。ただ、民法は、法律行為を行うには意思能力がなければならないともしています。そのため、赤ちゃんとか判断能力が十分にない人は、権利の主体ですが、自分で法律行為はできません。赤ちゃんや子どもなら、大体その親が、その子のため、法律行為をします。では、大人だけど意思能力がないときは、どうでしょう。後見、保佐、補助といった制度は、このような、高齢者など、判断能力が十分にない大人を支援するための制度です。

 ここで重要なのは、第一に、親がその子のため代わって法律行為をするように、判断能力が十分にない人のための制度だということです。第二に、親はずっとその子の親であるように、後見人、保佐人、補助人も、裁判所で一度選ばれたら「〇〇をしたら終わり」というものではなく、基本的にはずっとその判断能力が十分にない人の後見人、保佐人、補助人です。第三に、親は子に代わって法律行為をするだけでなく、子に教育をしたり、ご飯を用意したり等々、様々な世話をしますが、後見、保佐、補助の制度は、意思能力が十分にないことに対する制度であって、教育をしたり、ご飯を用意したりといった世話はしないということです。

 ただ、以上の説明は、日本の後見、保佐、補助の制度の説明であって、諸外国では意思能力とは関係なく、大人だけどひとりで生きていくことが難しい人に対する保護の制度として、お世話する人を選任する制度が設けられていたりします。

私は、法律家なので、法律行為だけを代わって助けるという方が性にあっていますが、日本の制度も、生きるためにお世話が必要な人が増えてくれば、他の国のような制度に変わっていくかも知れません。


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